ヨーロッパの騎士と日本の武士


 

 日本では中世から近世江戸時代まで武士の時代と言われています。この武士(侍とも言いますがここでは武士と言います)については日本人はだいたいのイメージ持っています。

 一方ヨーロッパにも中世に武士と似たような騎士が活躍しました。名前は今日でも良く聞きますが、具体的にどんな人たちだったのか、日本の武士とどう違ったのかをお話したいと思います。

 

 騎士は11世紀から現れ、15世紀ぐらいまで存在するのですが、活躍の最盛期は11~13世紀ですので主にこの時期に焦点を合わせます。この時期に対応させるようにして日本の武士もこの時代(平安末期から鎌倉時代中頃)の武士を取り上げます。

 

 先ずこの時代のヨーロッパの統治体制です。

 ヨーロッパで騎士が誕生する11世紀、ヨーロッパの大国のフランク王国(現フランス)では国王の王権が衰退し、王の家臣である諸侯(公爵、伯爵)やその一族である人々が王の官僚から、領主となります。この人たちを貴族と言います。

 

 王―諸侯(公爵・伯爵)―城主―農民の統治体制です。

 王、諸侯、城主が領主として農民から無償で農業労働を提供させ、税金年貢を納めさせます。

 諸侯は王と、城主は諸侯とそれぞれ家臣と君主の関係(主従関係)の契約をします。

 君主は家臣に領地(土地))を与える見返りに家臣は軍事的奉仕を君主にする契約です。

 これを封建制(ヒューダリズム)と言っています。

 

 騎士はこのような統治体制の下で現れました。

 王権の弱い封建制になりますと領主間のもめごとは武力解決が多くなります。

 領主は強い兵力を持たねばなりません。

 その頃の野戦は歩兵と騎馬兵がそれぞれ隊を組んで一体となって戦います。

 

 騎馬兵は古代から歩兵と共に戦場で戦う戦士ですが、中世半ば頃からその戦

闘威力が高く評価されるようになりました。

騎士とは馬に乗って戦場で戦う騎兵の戦士です。

 騎兵は簡単に養成出来ません。当時戦士は装備は自前であつらえなければな

りません。馬や重装備の(よろい)(かぶと)、槍、長剣等の装備には相当の費用がかかり、

騎馬での戦い方には幼少の頃より長期の訓練が必要です。

そこで農民の内、裕福な者が騎馬兵となって行き、この人たちを11世紀ごろ

から騎士と言うようになりました。

 城主(領主)にとって戦闘能力の高い騎士を雇うことが大事となり、積極的

に家臣にするようになりました。

 

 城主(領主)と騎士との関係は上記の君主と家臣の関係と同じです。両者は、

家臣である騎士が君主である城主に騎兵として軍事奉仕をし、城主は騎士に

小領地を与えるか又は俸給を与える双務契約です。

 これがヨーロッパの騎士の起こりです。

 

 さて日本の武士です。

 武士の起こりについてはいくつかあるのですが、鎌倉時代までの有力武士の

トップは源氏と平家です。

 源氏も平家も先祖は天皇ですが時代が下るにつれ、貴族でなく軍事官僚から

国司(地方官僚…守、介等)になって行きます。

 有力武士は国司退任後もその土地に居残り、荘園領主となり、中央軍が不在

の朝廷で軍事を請け負って奥羽等の反乱鎮圧に力を発揮し勢力を高めます。

(10世紀末の平将門の天慶の乱、11世紀半ばの前九年・後三年の役)

 武士は源氏、平家一族以外に地方の国司、郡司の有力な下僚、荘園の下司(げす)(現

地領主)や朝廷の武官(内裏を守る)からの出身者もあります。しかし規模の

大きな武士団やその棟梁は源氏や平家と言うことになります。

 

 ここですでに騎士と武士との違いがあります。

 騎士は裕福ではありますが農民出身の騎馬兵が元です。

 武士の元々は貴族ではありませんが、有力な軍事官僚で国司(現在の知事、副知事)出身です。あるいは地方の有力者で大小問わず領主です。

 

  騎士の地位の向上について見てみましょう。

  ヨーロパでは11世紀十字軍の遠征が始まります。諸侯や城主は多くの兵士が必要となり、特に攻撃威力が大きい騎士の家臣化が進みます。

  当初騎士は、乱暴者、なならず者も多かったのですが、キリスト教会によて道徳がほどこされ、神の騎士として処遇され、騎士の叙任が行われました。

  騎士は十字軍の遠征では騎士の威力、優位を立証して、地位が上がります。

  王―諸侯―城主―騎士の序列身分となり、準貴族待遇となります。城主だけでなく王、諸侯も騎士を家臣とします。

  それでも騎士が王、諸侯、城主になることはありません。栄誉ある騎士である一人の兵士であって領主とは言えません。(なっても小領主です。貴族とは言えません)

  

 日本の武士です。

 大型の武士の集団が出来てきます。それが源氏と平家です。一族と地方の武

士を仲間にし家臣化して、武力集団を結成します。

 朝廷や院(上皇)は最初は彼らの武力を利用していたのですが、その後の天

皇家の内紛(12世紀の半ばの保元・平治の乱)の終結において、武士集団の

平家、源氏に政治の主導権を握られてしまいました

 12世紀末には源頼朝によって鎌倉幕府が設立され、その後の日本の政権は

徳川幕府の滅亡まで武士が握るようになりました。

 

 騎士は栄誉ある社会的な地位を得ましたが、一人の騎馬兵士です。日本の

武士は貴族から政権を奪取してしまいました。この相違は大きいですね。

 

 騎士も騎士団を結成しましたが、これは宗教騎士団で教会が騎士を集めて作

ったもので、十字軍の遠征では活躍しました。日本の源氏、平家とは違い、

政権を狙う団体ではありません。

 

 次に双方の武具と戦い方を比較して見ましょう。

 騎士の武具は馬、槍、長剣、鎖帷子(くさりかたびら)(よろい)(鉄板の鎧は14世紀から)(かぶと)

(たて)となります。弓は持ちません(弓は歩兵の武器です)

基本的には戦場では集団戦ですが、一対一での騎馬戦が重要です。騎士は弓

は使いません。騎乗での武器は槍と長剣のどちらかです。

 

 日本の武士も騎馬戦が基本です。武士とは騎馬して戦う兵士です。武器は

弓矢と大小の刀(両刀を腰にさします)です。槍は持ちません(当時日本では

槍は歩兵も使いませんでした。使いだすのは13世紀の終わりごろからです)

 武士は野戦では一対一の騎馬戦です。

 

 矢が届く距離になったら馬上から弓を次から次へ射ます。至近距離になって

も射ます。相手が落馬しないで、馬が接触するような距離になったら太刀での

打ち合いになります。それでも決着がつかない場合は、双方で話しあって馬を

降りて太刀で斬り合います。

 

 騎士と武士の戦場での戦い方は上述の通り違いますが、更に騎士は馬上で楯

を持ちますが武士は楯を持ちません。武士の防御は鎧、兜だけです。

 ヨーロッパの歩兵も一人一人楯を持ちますが、日本の歩兵は楯を持ちません。

矢の攻撃からの防御は地面に楯を立てて防ぎます。

 武士の刀は太刀と大きく、片刃です。騎士が持つのは両刃の剣です。

騎士は左手に楯、右手に槍又は剣をかざして戦います。

馬上の武士は右側から弓を構えて矢を放ちます。

 

それでは騎士はどのような人がなれるのでしょうか。

11世紀騎士が起こった時は裕福な農民がなりましたが、その後騎士の身分が

上がるにつれ、親兄弟、または男親の兄弟が騎士でないと騎士に叙任されないようになりました。世襲に近くなります。

騎士になるには小さい時から家で騎兵の訓練を受けるか城で訓練を受けて

騎士身分が得られます。それから君主の家臣となります。

 騎士身分を得ますと、城での勤務(城の防衛、遠征の外君主の領地の管理等)

か又は年間30~40日の軍務に服する家臣の契約をします。

 城勤務以外の騎士は複数の君主と家臣契約が可能です。

 城主も複数の諸侯と家臣契約が出来ます。

 ここら辺が日本での武士における君主(主人)と家臣(家人(けにん))の関係と違います。「日本では二君にまみえず」が鉄則です。

 

源頼朝時代は新規に武士となる資格は頼朝に決定権限がありました。武士資格持っていてもすべて頼朝(鎌倉幕府)の御家人(家臣)ではありません。頼朝に功労があった武士だけです。

武士はその一部上層部を除いて貴族ではありません。しかし領主でありますし、鎌倉幕府で政治や軍事に関与します。準貴族と言えます。

武士は単に騎馬で戦う兵士(騎士)であるだけでなく、領主として家の子(一

族の武士)、郎党(騎馬兵士=すべてが武士ではない)や郎従(歩兵)を従えて戦時は一個の隊、軍団を結成して君主のために戦闘します。平素は彼等は領内経営や農業に携わります。

 家の子や郎等には自分の領地から一部領地を分け与えることもします。

 

 騎士は領主の者であっても規模が小さく、君主への奉公は自分一人が原則です。

 騎士は城主(領主)ではありません。規模の小さい武士も家来を従えて戦場に赴くのですから城主に近いでしょう。

 

日本では平安末期から江戸時代まで武士の政権が続きますが、14世紀以降の

騎士はどうなって行ったのでしょうか。

 14世紀になりますと騎士の社会的な身分は更に高くなり、その栄誉を求めて騎士になりたがる人が多くなります。

 王や諸侯、城主までも騎士資格を得ます。

 ところが一方、騎士(騎兵)は城攻めに役にたたないこと、歩兵集団が騎兵への攻め方がうまくなったこと、15世紀になると大砲、鉄砲の威力が大きくなったこと。更に王権が強くなり、王が常備軍を充実させるようになったことから騎士の需要が衰退していきます。

 騎士は乗馬はしますが、騎馬兵としではなく歩兵の士官として雇われます。

 それでもかっての誇り高き、栄誉ある騎士称号を上も下も得ようとします。

 だんだん実戦での役割はなくなっていくのですが、騎士称号だけが公爵や伯爵に次いで人気があります。

イギリスでは準男爵の下に“騎士”の称号があります。英米で兵隊が士官に“イエスサー”と返事しますが、あの”サー“は騎士への尊称から出ています。

 フランスでは“騎士”勲章があります。

 まだまだ違うところはありますが今回はここまでに致します。

 

以上

 2018年2月20日

 

梅 一声