ヨーロッパ史と日本史の違いを見ます(その2)


ヨーロッパ史と日本史の違いなど挙げればきりがないと思われるでしょうが、それでもいくつかに焦点を絞りますと違いの輪郭が見えてきます。

 前回で、「民族の多様性と王朝国家」について述べました。今回は「封建制の中身の違い」と「日本になかった議会制度」について語りたいと思います。

 

 それでは先ず「封建制の中身の違い」です。

ヨーロッパは中世から王政、封建制になります。日本も中世から封建制になります。但しヨーロッパの中世は5世紀末からで、日本は12世紀からです。

 ヨーロッパの封建制と日本の封建制は似ているのですが、異なるところもあります。

 

君主(王)と家臣(貴族)は主従は関係にあり、戦争の時は家臣は自分の家

来を連れて参戦しなければなりません。君主はその見返りとして領地を与えま

す。ヨーロッパでは、両者は双務契約と言われます。

一方、日本史では源頼朝時代は、頼朝と御家人の関係は御恩と奉公の関係と

言われています。頼朝の家来(御家人)となって戦うことを奉公、その見返り

に本領安堵(領地の保証)してもらい、更に新恩給与(新しくもらう領地)を

もらうことが御恩です。

こう見ますとヨーロパも日本も同じように見えますが、日本の主従関係は、

時代が下るにつれて家来は君主(主人・殿様)への忠誠心を強調されるようになります。

 

次に君主(殿様)や貴族(家臣)が領主としての領民への税のかけ方です。

ヨーロッパの領主は農地の半分以上を所有し、領民に自分の所有農地に賦役をかけます(給料なしで働かせます)。農民の保有地には税金をかけます。

それに対し、日本の領主は自分では土地をほとんど所有せずただ領有するだ

けです。農民は自分の決められた耕作地を耕し、その収穫から一定の年貢を領主に納めます。

ヨーロッパは領主が農地を所有します。領主は地主で、土地の売り買いは自由です。日本の領主は土地を所有はしません。(室町時代以降は全く所有しない)ただ領有(統治)するだけです。貧しくなっても所有権はありませんので売れません。収穫からの年貢を得ることが出来る統治権を持っているだけです。

 

ヨーロッパの領主と日本の領主どちら有利かと思われますか。

実はヨーロッパの領主は行き詰りました。領民(農民)は一生懸働いても、

怠けようとも週3日程度領主に勤労奉仕をすればいいのです。ですから生産性が挙がりません。一方日本の年貢方式は、領民(農民)が一生懸命働いて収穫が多いと領主も農民も利益が挙がります。収穫を領主と農民が一定の割合で分け合うからです。

ヨーロッパの領主(貴族)は年貢方式に切り替えようとしましたが、遅きに

逸しました。

 やがて中世の貴族(領主)は経済的に衰えていき、相対的に王(家)の権力が高まり、近世には絶対王政の時代となります。

 貴族(領主)の領地の施政権はほとんど王権に吸収されていきます。

 

 一方日本の封建制は江戸時代に入って、徳川将軍家(幕府)は大名(領主)に対して絶対的な権力を持つようになります。

 大名の取り潰しは平気でやります。

 しかし大名の領地(支配地)の施政権(年貢徴収権、警察権、裁判権等の領民への支配権)はそのまま存続させます。

 幕府が直接持っている日本全国への権力は鎖国政策、耶蘇教禁教政策、朝廷政策、寺社政策、日本国防衛政策です。

 しかしこの幕府権力部分が大きいとして、江戸時代は中央主権型の封建制で本当に純粋な封建制と言えるのかとの議論が明治時代に出ました。

 当時あの唯物史観のマルクスは健在で、彼は日本の江戸時代は純粋の封建制の時代と断じました。

 

次に「日本になかった議会制度」です。

日本には江戸時代まで議会はありません。議会はただの会議ではありません。

ただの会議は出席メンバーが討議して決定事項を上申したり、上司より指示を受けたり、連絡事項を受けたりします。

議会には重要な権限があります。主要な権限は政権(王、大統領、総理大臣)への権力の抑制です。今でもそうです。

 

ヨーロッパでは古代のギリシャでもローマでも共和制でも王制でも議会がありました。

政権を担うものは議会から選ばれる又は承認が必要です。更に国の方針の

主要事項の決定についても、原則政権は議会の承認を得る必要があります。

これは中世ヨーロッパが全て王制になっても議会は存在し、今日においても国家の最も重要な機関です。

中世は共和制はなく王制ですが、ほとんどの王は地域の豪族達、貴族達から推戴されて王に就任します。もちろん王家は子孫に王位を継承できます。

一旦王位に就き、戦いに勝っていくと王権はだんだん強力になりますが、それでも議会は王の専制が強くなることを抑えます。増税、貴族の特権を減ずる政策は認めません。王が専断しようとしますと王位をはく奪します。

 

中世当初、議会は聖職者と貴族で構成されていましたが時代が進むにつれ有力市民もメンバーになります。

17世紀には王の力が強くなって絶対王政時代と言われ、いったん議会の力は無くなりますが、19世紀以降(フランス革命以降)主権在民の思想が定着していき普通選挙の下、議会は選挙で選ばれた成人の男性。女性によって構成されていきます。

 

これがヨーロッパの政体が日本の江戸時代までの政体と違う所です。

日本では大和王家(天皇)も武士で政権を取った将軍等も自力の武力で政権を取りました。家臣たちの推挙によるものではありませんので権力を抑制する議会は出来る余地がありませんでした。

日本では明治に入って、初めてヨーロッパに見習って議会制度を取り入れました。

以上

2016年3月14日

 

梅 一声