戦国大名の家筋を見ます


  尾張の織田家、中国地方の毛利家、九州地方の島津家、東海地方の今川家、関東地方の北条家等々の戦国大名は元々どんな家筋でどのようにして戦国大名になって行ったかについて四つに分類して概略をまとめてみました。

 

 戦国時代がいつからいつまでかは諸説はあるのですが、ここでは通説に近い

応仁の乱(応仁元年 1467年)から織田信長の足利家15代将軍(よし)(あき)の京からの追放(天正元年 1573年)としておきます。

 応仁の乱が終わりましたが、京には細川家と畠山政長以外の守護はみんな自分の領国に帰ってしまいます。守護が京に滞在して将軍を支える室町幕府の本来の体制が崩壊していきます。

 近畿地方は足利将軍家と細川管領家(かんれいけ)の対立とそれぞれの守護のお家の内訌、それに近畿の有力国衆が合いまじりあって、政権の主導権争いをします。

 一方地方では、応仁の乱中に守護が領国を顧みない間に、家臣の守護代や有力家臣、それに領地の国人や国衆が台頭し、彼らが守護領国内に自領を拡張し、帰ってきた守護と対立します。

 彼らは守護家を分裂させたり、力づくで守護より領地を獲得したりし、そして守護家を追放したりして領地を拡大していきます。彼らが戦国大名なります。

 守護家も対抗し戦国大名になりますが、守護がそのまま領地を維持できることは少ないのです。

 

 鎌倉時代も室町時代も武士は領主です。戦国大名は大型の領主です。支配地域が一か国以上が普通で、半国もしくは数カ郡の支配(奥羽の伊達氏等)でも戦国大名と呼びます。

 

 ここで我々になじみがある下記の戦国大名についてその家筋を分類して見てみたいと思います。

 戦国大名も戦国時代の流転で勃興したり滅亡しますが、ここでは戦国時代の末期で、織田信長が足利義昭(15代将軍)と入洛した永禄11年(1568)

の少し前あたり頃の主な戦国大名を見てみます。

1、守護の家筋から戦国大名に

 〇武田家

  甲斐源氏と言われ、平安時代、鎌倉時代、室町時代を通じての名門の家 

  筋で足利家につぐ源氏の名門です。鎌倉時代から甲斐国の守護です。

  有名な信玄はお父さんを追い出して家督を相続します。信玄は家臣の統率

力が強く、下剋上は起こりません。

  後に信玄は信濃国、駿河国の領地も併呑します。しかし病没後、息子の

勝頼が織田信長に敗戦し、甲斐の武田家は滅亡します。

  

 〇今川家

  足利家の親類の家筋での守護です。

戦国時代は東海の雄と言われました。一時は遠江国、三河国や尾張国の

一部をも勢力範囲に治めていました。義元が桶狭間で信長に敗れるまで

武田家より勢力は大きかったのです。義元の子の(うじ)(ざね)になって滅亡しま

す。後の領地は、駿河国は武田家、遠江国は徳川家が支配します。

   

 〇佐竹家

  源氏の流れをくむ常陸(ひたち)の名門家です。

  徳川家康の時代に秋田に転封となりますが、江戸時代まで生き延びます。

 

 〇六角家

  近江(おうみ)南部の守護、宇多源氏の佐々木氏の宗流。鎌倉時代からの守護。

  その後信長に敗れ滅亡。

 

 〇朝倉家

  越前国の守護。元斯波家の守護代でしたが、応仁の乱中に守護に昇格。

  足利義昭も将軍になるために最初は朝倉家を頼りにしましたが、信長に鞍

替えしました。

  朝倉家はその後信長に敵対して滅亡します。

 

 〇大友家

  豊後国の守護。一時は九州の六か国を支配しましたが、その後島津家に敗  

  れ衰退し、豊臣秀吉の時代に滅亡。

 

 〇島津家

  薩摩国の守護、鎌倉時代よりの守護。一時九州の六か国を支配しましたが、

  その後秀吉に敗戦し、薩摩、大隅の2国となり、江戸時代に至ります。

 

  上記の各氏は室町時代あるいは鎌倉時代よりの守護で名門家です。一守護

 は一国を任命されることが多いのですが、例外的に細川、斯波、畠山、山名

 一族等は数カ所の守護を兼帯します。

  室町時代の守護は京都の将軍家と鎌倉公方の下で自分の守護領国を経営し、

軍事力を持ち、将軍又は鎌倉公方(関東の支配)の政治に参議します。

 

この室町幕府の守護が、戦国末期まで大名として残ったのは52家の内上記

 の6家で、これ等の内江戸時代まで残った大名は島津家と佐竹家の2家だけ

です。

 

  尚、信長が入洛前には細川本家(管領家)は没落していましたので数

に入れていません。

 

2、守護代の家筋から戦国大名に

 守護代は室町幕府において、一国において守護に次ぐ職位です。守護の家臣

です。

 〇上杉家

  武田信玄との川中島の戦いで有名な上杉謙信の家です。

  上杉謙信の家は元長尾家で、守護で関東管領上杉家の越後の守護代でし

た。上杉家が衰退していく中で長尾家は隆盛し、実質越後を支配しました

そこに上杉家から関東管領職と守護職を禅定され、そして上杉氏を名乗った

のです。

  元の上杉家から形は禅定ですが、実質力づくでなった戦国大名です。

  謙信没後大名の規模は小さくなりましたが、江戸時代まで存続します。

 

 〇織田家

  信長の家です。尾張国は管領家斯波(しば)が守護でした。守護代家の織田

興隆し、斯波(しば)家は衰退していきます。信長の家は本家ではありませんでした

が、父親が尾張半国を支配し、信長の時代に本家筋や守護の斯波家を追放し

て尾張一国を支配します。

 その後の信長はほぼ全国を統一した所で明智光秀に謀殺されます。

 

 〇尼子(あまこ)

  出雲国の京極家の守護代。応仁の乱後は出雲を支配し、戦国時代中期には

  山陰で随一の戦国大名と言われました。しかし毛利家に敗戦して信長が京

に入った時には実質滅亡していました。

 

  守護代は守護の家臣ではあるのですが、主家の乗っ取りをします。下剋上

戦国時代と言われる所以です。

 

  ここではよく知られた守護及び守護代の家筋からの戦国大名を語りました。

 

 国人・国衆(土豪)から、又地元に領地を持たず新規に戦国大名に召し

抱えられて戦国大名になった人たちもいます。後編で述べることに致します。 

以上

2019年6月11日


梅 一声