お釈迦様の教えを見ます


 私たち日本人の多くの人は先祖からの引継ぎで仏教の何かの宗派(宗旨)に属していることになっています。親が亡くなり、葬式を出す時に自分の家の宗派を思い出す人もおられるでしょう。

 現在日本の仏教の宗派は、真言宗、天台宗、浄土宗、浄土真宗、禅宗、日蓮宗等があり、さらに創価学会(日蓮宗の一派)等の分派があります。みなさんのお家はどこかの宗派に属しています。

 宗派によって教えは違いますが、包括的に言いますとすべて大乗仏教(だいじょうぶっきょう)の分類に入ります。

 この大乗仏教は、根本はお釈迦さまが唱えた仏教ですが、紀元前後ごろから仏教の教えがインドで大編成替えされた教えです。

 この大乗仏教が中国経由日本に伝わり、上記のように宗派は分かれたのです。

(大きな宗派はインド、中国で分派します)

 この大乗仏教がどのような教えであるかは皆さんの知っている宗派を思ってください。かいつまんで言いますと、悪いことをしなければみんな極楽浄土に行けます。いえ宗派によっては悪いことをしても死ぬときに一言「南無阿弥陀仏」と唱えれば極楽浄土に往って幸せに暮らせることになっています。

 みんな救われますのが大乗です。

 

 さてそれでは、もともとのお釈迦さまの仏教の教えはどうだったのでしょうか。今回、お釈迦さまが教えた仏教をたどってみたいと思います。

 日本では江戸時代に町人学者富永仲本(1715〜1746)が「出定後語」(しゅつじょうごご)を著わしその中で、「日本人がこれまで信仰してきた大乗仏教(すべての宗派)はお釈迦さまが唱えた仏教ではない。お釈迦さまが唱えた教えにどんどん付け加えられた教えである。これを「加上」(かじょう)と言いう」として、大乗仏教非仏教論がなされました。それまで日本人のすべて僧侶も含めて大乗仏教(すべての宗派)はお釈迦さまの教えそのもと思っていました。

 今でも皆さんの中にはそのように思っていらっしゃる方がおられるかと思います。

 それではもともとのお釈迦様の教えはどのようなものであったのか、理解が大変難しいので、宮本敬一氏著の「仏教誕生」を借りて説明します。

 その前にお釈迦さまその人についてです。

 入滅(この世を去る)は80歳ぐらいで、生年は紀元前6〜5世紀で説が分かれていてはっきりしません。しかし実在の仁です。

 生まれは、釈迦族(ネパール)で性はゴータマです。土地の王族です。

 呼称はいくつかあります。

 ・釈迦牟(しゃかむ)()(釈迦族の聖者の意味)

 ・釈尊(しゃくそん)(上記の尊称)

  (ほとけ)仏陀(ぶつだ)(覚者)・・・正式にはゴータマ・ブッダ

    (ゴータマは姓、ブッダは覚者・目覚めた人)

 ・釈迦牟(しゃかむ)尼仏(にぶつ)()(そん)、略して()(そん)尊称

 ・如来(にょらい)(大乗仏教での呼び名)

 ・お釈迦さま(日本人はこの呼び名がポピュラーと思いますのでここでは

        この名で通します)

 

 誕生してすぐに立ち、「天上(てんじょう)天下(てんか)唯我独尊(ゆいがどくそん)」(神々を含めてこの世に自分より優れた者はいない)と言われたとのことです。

 成人して29歳の時に出家されて、覚者(かくしゃ)(悟られた人)になるのですが、ここに至る道程に付いて語ります。

 このころインドはバラモン教の時代です。お釈迦さまはこの宗教の影響を受け、そして新しい宗教である仏教を打ち立てられます。

 このバラモン教はインドアーリア人が紀元前1500年頃にインドに持ち込んだものです。

 多神教です。吉祥天、大黒天、帝釈天、弁財天など日本でも知られています。

 教祖はいません。

 梵我一如(ぼんがいちじょ)をうたいます。すなわち宇宙の本体(梵)と自分が一つになる。そして業(ごう)を離れて解脱(げだつ)する。

 この「解脱」(げだつ)することが最終目的になります。

 お釈迦さまの修行も弟子への教えも「解脱」が最終目標となります。

 それでは「解脱」となんでありましょうか。

 「生類は再生と再死の繰り返しである。植物の稲や麦は実を結べは枯れ死し、死んだ状態の実は又新しい芽をふく。人間も同じである。これを転生(てんしょう)という」

 人間世界では「輪廻転生」(りんねえてんしょう)言いますが、これを言いますのはインドです(バラモン教、仏教)。キリスト教では「すべての出来事は一回限りです。死ねば神の御もとに行くか地獄に落ちるかです。一方通行です。

 人間世界の「輪廻転生」とは、

「生を受けた者は望み通り生きられないまま死に、又生まれ望み通り生きられないまま又死ぬことをくり返します。すなわち再生と病苦と老苦による再死をくり返す。」

 この輪廻転生の苦しみを脱却して、今生の死を最終のものとすることを

「解脱」と言います。そしてインドの修行者はこの「解脱」をめざします。

 

 話は戻って、お釈迦さまです。

 ある日王城から外出している時に病人が苦しんでいるのを見、又あると時に老人が年をとって苦しんでいるのを見、そして死んでいくのを見ます。人間は生まれ変わってこの苦しみをくり返えす。自分もそうであるとして深く感銘して、これからの脱却、すなわち「輪廻転生からの解脱」を目指されることになります。

 「解脱」を目指すためには出家して修行をしなければなりません。

 お釈迦さま子供一人をもうけた後、29歳の時に出家されました。

 

 それではお釈迦さまどのように修行されたかです。

 人間の老、病。死の苦を克服するためには、生存欲を断つことです。生存欲を断つとは、食欲と性欲を断つことです。

 このための修行として苦行を選ばれました。すなわち断食修行(だんじきしゅぎょう)です。断食を行いますと、食欲はなくなり、性欲もなくなります。そして悟りの境地に達し、一見解脱したかのようになります。

 しかし断食をやめますと、もとのように生存欲が出てきます。これは有効な修行でないとされ、苦行をやめ、瞑想(めいそう)すなわちヨーガー禅定(ぜんじょう)によって生存欲を断つことに成功され、解脱されました。そしてお釈迦さまはブッダになられたのです。すなわち目覚めた人、覚者になられ、成道(じょうどう)を得られたのです。

 大樹の木の下で座して禅定に入り(瞑想)、ブッダになられましたのこの樹をボーディ樹(菩提樹―目覚め)と呼ばれるようになりました。

 

 この解脱、ブッダ(目覚めた人)になるための修行の道(仏教)を弟子たちに教えられました。

 三学と言われ、これを完成させると解脱できると。

@   戒・・・・・戒律、修行における禁止条項

A   定(じょう)・・・・・心の鍛錬

B   慧(え)・・・・・知恵

 

解脱、悟り(覚者)を得るためにはBの慧が必要であり、そのために@の戒とAの定が必要となります。

 @は出家が守るべき決まりで、貧しい着物、乞食、樹下での生活等十二戒律があります。

Aは生存欲を持続的に抑制して煩悩を捨て去ります。煩悩の根源は、迷妄、無知(生存欲から生ずる渇愛)にあり、それから起こる欲求、欲望、怒り、嫌悪です。具体的な煩悩としては、怒り、貪り、愛欲、驕慢、憎悪、迷妄、愛執、

愛着、妬み、おしゃべり、口論、子供、妻等々です。

 

 お釈迦さま修行で苦行(断食)求めません。禅定(瞑想)である中道を求めます。

 その修行には、外にいくつかの規定が定められていますが、省略します。

 

 この世(此岸)の苦しみを再生、再死で輪廻しないで、修行(生存欲を打ち切る)によって平安なあの世(彼岸)に行くことを目的とします。これが涅槃

です。

ただ言えるのはお釈迦さまのお考えは厭世的であることは間違いないと思います。

お釈迦さまの達した境地(解脱、覚者)は大変難しくお釈迦さま以外に誰が達したか分かりません。

 だいぶ我々の大乗仏教(真言宗、禅宗、浄土宗等)と違いますね。大乗仏教は現世を生き抜く知恵、祈れば救われ死後極楽浄土へ往生できる道が加上(付け加える)されました。

 お釈迦様のそのままの教えはスリランカ、タイ、ミャンマーやカンボジアなどの東南アジアに伝わった上座仏教(小乗仏教・南伝仏教)に色こく残していると言われています。

 大乗の仏教徒の皆さんとお釈迦さまの教えの原点を見てみました。

以上

2016年10月11日

梅 一声