お米大好き日本人

 


 


 お米は本当に日本人に好かれて来ました。主食として今でも最高の食物です。

 それではお米の伝来からです。

 さてこのお米ですが、植物名はイネ(稲)です。日本人は古く縄文時代から

イネの果実(種子)であるコメ(米)を食べてきました。

 今から1万2000年前から2千300年前(紀元前4世紀)あたりを縄文

時代と言っています。

 縄文時代の後を弥生時代と言っていますが、その分岐の大きな要素は稲作が

始まったことが弥生時代の起点としていましたが、最近の研究では縄文時代の

晩期には水田稲作が行われており、もっと以前から畠で稲が栽培されていたの

ではないかと言われ始めました。

 縄文時代の食糧は狩猟による二ホンシカやイノシシ、漁労による貝や魚の肉

もありますが、主たる物は採取による植物性の食糧です。

 クリ、クルミ、ドングリの木の実です。これらは秋に収穫でき日持ちがきく

ことから越冬のための食糧ともなります。

 果物類は日持ちがしません。日持ちする食物が大事です。

 縄文時代のいつ頃かははっきりしませんが定住した人は食糧確保のため植物

の栽培を開始します。

 栽培は天然の栗林の管理、野生のコメ、ムギ、アワ、山芋などの半栽培(育

成の良いものを残しその回りの未熟のものを間引く)から始まり、次いで畑を

作り栽培が始まったといわれています。

 

 水田稲作が2500年前(縄文晩期)の水田跡が九州で見つかりました。

 更にさかのぼる1000年前の畑作のイネのもみ殻も見つかっているのです

が自生のか畑作の栽培のかが分かりません。

日本でのイネの栽培は畑作もありますが、水田稲作が圧倒的に多いのです。

 それではこの人気のある水田稲作がどのようにして日本に伝来して来たかで

す。

 

 先ずイネの起源です。

 野生のイネはアフリカ、アジアの熱帯、温帯地方が原生地です。野生のイネ

を選抜育成してアフリカイネとアジアイネとなり、更にアジアイネは温帯ジャ

ポニカイネ(ジャポニカ)、熱帯ジャポニカイネ(ジャバニカ)とインディカ

イネの品種を生みます(ジャポニカはジャパンと関係ない語です)。

 性質と栽培の起源です。

温帯ジャポニカイネ(以下はジャポニカと称します)は温帯を好み、短粒、

ねっとり型で、栽培には多量の水が必要で水田稲作に適しています。一粒からの増殖は他の品種に比べて多いのです。

中国長江下流域を起源とします。6000年前の水田の遺跡が発見されてい

ます。

このジャポニカが朝鮮半島を経由して縄文時代の晩期に日本に伝来したと言

うのが通説です。

朝鮮を経由しないで直接とか、台湾、沖縄経由伝来した説もあります。

熱帯ジャポニカは東南アジアで人気があり、畑での稲作(陸稲)です。日本

にはジャポニカより早く伝来したようです。

畑作は連作がききにくく、肥料も多く必要です。現在のもち米がそうです(水田もあります)。

インディカイネも東南アジアが主流です。現在タイ米で知られています。ジ

ャポニカより粘りがなくぱさぱさ感があり、日本人にはなじみにくいようで

す。

日本ではジャポニカの水田稲作が主流となりました。

 

日本での水田稲作での作り方の歴史です。

最初は山からの流れ水を山際で受け止めて小さな浅い水たまりのような場所を作り、そこにもみ殻をばらまいてイネが育つのを待つのです。田起こしもせず肥料も使いません。

山から流れ出て来た水には養分があります。一区画10平方メートル位でし

ょう。(遺跡が残っています)

水は流れにまかせたままです。場所は盆地が最適でしょう。

 

これを原始水田栽培としますと、次には山から流れ出る大量の水を平地に又

は斜面を平地にして一定の大きさの田んぼを作り。上地から下地へ順次水を流して水を貯える水田を作ります。

そのためには田んぼの造成や水を田に引く用水路の造成も必要です。相当の

工事ですが、一旦作っておきますと半永久的に使えます。

ここに種をまきイネが育成され収穫です。水は一年中田から落としません途

中で水が切れたらイネが育たない可能性が大きいからです。

ここまでの水田は刈り入れまで水を田から落とさないので湿田と言います。

 

次にこれまでの直播(田に直接もみ殻をまく)でなく、もみ殻を苗になるま

で苗代で育てて、それから数本を一株にして田で田植えをして育てる方法です。イネの成長がこの方が数段良いのです。

イネ刈りの前に水を抜きます。乾田と言います。湿田より成長がよく、水を

入れっぱなしの湿田ですと根腐れが起きる場合があります。これを防ぎます。

水の出し入れをすることから灌漑の池の造成が必要です。

 

水田は山際の地から広い平野の沖積地で大々的に水田が開発されます。

川は平野(平地)より低地を流れていますので川の横から取水するには汲み

上げる機械と人力が必要です。一部で行いますが大がかりな取水設備は困難です。

平野の河川から田に水を入れるには上流地からの用水路を造成する必要があ

ります。

 

 水田稲作により食糧が飛躍的に増えます。人口が増加しますが、食糧の余剰

ができます。人々に生活にゆとりが出来、文化が発展します。更に手工業や商

業の専門が出てきます。

 クニ(地方豪族)が出現します。これについては別稿(お米と日本国家)とします。

 

ここで日本人が穀物の中でなぜお米を主食として選んだかを語りましょ

う。

 世界の三大穀物(主食)はイネ・小麦・トウモロコシです。いずれもイネ科

でその果実を食します。

 そうなんです。すべて竹の仲間です。

 何故主食になったのかそれはその実が長期に保存がきくことと増殖力が強く

毎年多くの収穫が出来ることです。あじも良いこともあります。

 三つの内どの穀物を主食にするかは栽培地の気候の立地にあります。

 イネは元々熱帯、亜熱帯、湿潤の東南アジア、アフリカを原産にします。中

国南部、東南アジアで広がります。

小麦は中央アジア・西アジアが原産とされますが、寒冷、乾燥に強い所から

ヨーロッパで生産が広がります。トウモロコシはメキシコ高地が原産と言われ、南北アメリカに広がります。高温、乾燥には弱い性質です。

 現在、世界の生産量は米が約5億トン(一位中国、2位インド)、小麦

7,6億トン(1位中国、2位インド)、トウモロコシ約10億トン(1位

米国、2位中国)です。但しトウモロコシの生産の内食用は4パーセント位で

他は家畜飼料や工業用です。

 

 小麦も2000年前に日本に伝来、トウモロコシも戦国時代に伝来しまし

た。

それではなぜ日本人はなぜ米を主食に選んだのでしょう。

 

 それは日本ではイネの生育に必要な温暖で雨量が多く、水の利用がしや

い地であったこと。

そして水田栽培のジャポニカの増殖が小麦よりまさっていることです。更に

連作がきくこと、肥料が陸上の栽培植物より少なくて済むことです。

 稲からもみ殻をとらねばコメになりませんが、このもみ殻がたたけば楽には

ずせます。小麦は粒が柔らかい上に外が堅く殻と実をはずしにくいので一部殻

がついたままになります。そこでそのまま煮炊きしてでは食べにくいので、粉

にして小麦粉として製品とし、パンや麺にして食すことになったのです(今は

もみ殻を完全に外すでしょう)。

 

 稲の実をコメとしてそのまま炊いて食します。そのままでも美味しいです

し、おかず(副食)にもよく合います。

 うどんやそうめんも好きですが、日本人は古来コメの飯は毎日欠かせない食

糧になっていきました。

 ただ水田稲作も良い所だけではありません。

 雨量が少なく水が切ますと、枯れます。また元々亜熱帯の植物ですので寒い

地方には向きません。古代にも東北地方にも水田稲作が普及しましたが、冷夏

の年は稲が育ちません。

 水については灌漑の池を作り対処しましたが、東北の冷夏については江戸時

代まで対策ができず、飢饉を呼び起こしました。

 明治に入って品種の改良で冷害対策がなりました。

   

 お米は、戦前は年間一人150キログラム(一石)食べていて、江戸時代も武士階級や町人たちもそれ位食べていました(一日三合)。百姓や下級の町人は大麦等を混ぜて食しました。

昔に比べて食べる量が減ったとはいえ、現在でも年間一人当たり小麦30キログラムに対し、米は50キログラムを食しています。

 日本人とお米の話でした。

以上

 

 2022年9月14日

梅 一声