日本近世までの戦場での戦い方


 武器は古来、攻めの道具としては、鉾、剣、刀(太刀、刀、脇差、鎧通し、小刀)長刀、薙刀、弓矢、槍、鉄砲等々で、守りの道具としては鎧、兜、胴丸、

腹巻、楯等々があります。

 武芸は本来戦場で戦士と戦士が殺し合う技術として切磋琢磨して発展してきました。

江戸時代に入りますと集団戦の戦争がなくなり、戦いは鎧、兜を着けない平服での武術が発展します。特に剣術や柔術は鎧、腹巻、胴丸をつけない着物を着たままでの格闘の技術が進化します。

 それでは戦国時代まで戦場で(つわもの)(戦士)はどのようにして敵である相手を

仕留めたかです。

 これは基本的には歩兵戦か騎馬戦かによって違います。時代によって違います。両方の戦法の併用もありましたが、どちらかが主戦法でした。

 

〇奈良時代から平安中期の戦法

  飛鳥時代の末期ごろから戦場で馬の効用が言われるようになりました。

歩兵戦より騎馬戦に戦法が変わっていきます。

騎馬と騎馬の一騎打ちになります。騎馬は一般の兵ではなく武者(侍、武

士と言われるようになる)と武者との個人戦となります。

武者は朝廷の武官や地方の名のある豪族、その一族等で騎馬武者と言われました。彼らは戦闘の専門家になります。戦場で戦うのは彼らです。歩兵は騎馬武者の補助者になります。

 

戦場での対戦は、馬上で声が聞こえる距離(50〜100メートル位か)で、互いに向き合い出身と姓名を名乗ります。

  二騎が馬で駆け寄って互いに馬上から矢を放ちます。(射る、撃つ)

 決着がつかなければ下馬して太刀戦、それでも決着がつかなければ素手で

 倒し合いとなります。

 従って一番大事なのは弓馬です。一騎打ちの騎馬戦です。当時は弓馬の道

言われ、平素馬上での弓矢の技術を普段から稽古しました。馬を走らせて(まと)

撃つ流鏑馬(やぶさめ)は大事な平素の稽古でした。

    

〇平安時代末期から鎌倉時代の戦法

平安時代末期になりますと戦法が変ります。

 武者間の一騎打ちは残りますが、指揮官の乗る騎馬と歩兵との集団戦に

になって行きます。

それでも従来からの戦場でのルールがありました。遠矢(遠くから射る)は

しない、馬を射らない、海戦で船の櫓を漕ぐ船頭は非戦闘員であるので射ない、

斬らない等でした。

歩兵を含めての集団戦が主体になって来ますとこのルールの順守は難しく

 なっていきますが全く無視はしませんでした。

しかしこのルールを全く無視した仁が現れました。源義経です。この仁は

 奥羽地方(藤原氏のもと)で乗馬技術をみがき、馬体の大きな馬を選び、強

 い騎馬を増やし歩兵と一体になって戦場を駆け回りました。夜討ち、朝駆け

 の急襲、遠矢、船頭を討つなど平気でルール無視です。

平家に対し義経が強かったのは当時としてはこの画期的な戦法が功を奏し 

 たのです。

平家は卑怯なりと言ったでしょうが、「勝てば官軍」流は義経が出した戦法

 です。

その後みんな義経流となりましたので、奇抜な戦法とは言えなくなりました。

そして義経は自分の戦法で奥州で敗れました。

 

  当時の主な武器は弓矢、太刀、長刀、薙刀、小刀です。そうです槍がなかったのです。

しかし蒙古との戦いである文禄の役(1274年)と弘安の役(128

1年)では鎌倉武士は蒙古軍の武器である槍に悩まされました。

戦後、日本国内で戦でも槍が出現します。以後戦場での接近戦での主力

 武器となります。

ヨーロッパでは槍は歩兵も騎馬兵も使いました。手でもって相手を刺す又は

投げて殺傷する武器です。古代ギリシャのオリンピックの種目以来今日の陸上競技でもやり投げがあります。石器時代から狩猟で使用されて以来の武器で

す。

 

〇室町時代から戦国時代の戦法

  鎌倉末から室町時代になりますと、一騎打ちの騎馬戦はなくなります。歩 

 兵戦です。騎馬武者は馬に乗って歩兵(徒士(かち)、足軽)を指揮することが主任務です。集団戦の中で馬上で槍や刀を振り回して戦うこともあります。

  歩兵には侍格の徒士もいますが、歩卒である足軽(普段は百姓等の庶民)

 の働きが主戦力となり、これを騎馬武者が指揮します。

  歩兵は弓矢、長刀、槍、薙刀、刀、をもって集団となって敵に向かいます。

戦場でのルールはありません。なんでもありの殺し合いです。

 

  武士(騎馬武者)は戦場では馬から下りて戦うことを念頭に、重い大鎧は

 やめ、胴丸、腹巻と称される軽くて動きが良い当世具足での装備となってい

きます。

  歩兵は敵との間隔がある時は矢合戦をし、更に接近戦となりますと、弓、

槍、長刀、薙刀、刀での戦いとなっていきます。

楯は矢を防ぐ矢立を地上に立てて使いますが、個人では持ちません。ヨーロ

ッパの古代、中世では戦士は左手に楯、右手に槍又は剣を持って戦いました。

  歩兵(足軽)は集団で侍を取り囲んで襲います。

  

その後武器としては鉄砲が導入されました。戦国時代の後半の主力武器とな

ります。

  武芸の方ですが、武士(騎馬に乗れる侍)は槍の訓練が一番大事です。

 徒士(かち)(下級武士、今日の下士官クラス)や足軽(兵卒)は槍とともに鉄砲の

訓練が必要です。武士でも弓、鉄砲隊、槍隊の組頭(隊長)はそれぞれの武器

の訓練が必要です。

刀は戦場では誰でも常に必要な武器です、その技の訓練は昔から必須でし

た。

  接近戦での有力武器は一番に槍、次に刀でしょう。足軽の持つ槍は長い方が有利で長いもので、6メートル近いものもあったようです。突くというより互いに槍を叩き落すのです。武士は騎乗でも振り回し突きますので1,5〜2メートル位でしょう。

 騎馬集団と騎馬集団の闘い、騎馬集団と歩兵との闘いはあまりなかったの

ですが、甲斐の武田(信玄)の騎馬隊が有名です。騎馬集団が歩兵を襲い歩兵にダメッジを与えるのです。

 

〇江戸時代の戦法

  江戸時代に入りますと、武具(具足)を付けた大がかりな戦闘はほとんどなくなります。具足を着けない平服での戦いがほとんどになります。この平服での戦いを前提にして剣術が進歩し、襟、袖を持っての柔術が進歩しました。

  幕末から明治にかけての国内戦争は近世のヨーロッパ方式となります。

 大砲、小銃(銃剣付き)、短銃、刀です。弓矢や槍は使いません。身を守る

 鎧、兜等の具足は着けなくなって行きます。大砲の弾や銃の威力には防御とはなりません。

 

〇日本の武器や馬術の特徴

 ・弓

  日本の弓とヨーロパの弓に違いがあります、日本の弓は大きく強く、矢の

威力を主眼としました。(鎧を打ち抜く威力)ヨーロッパや中国は日本に比べ弓は小さいのですが、スピーディーに次の矢を射れることを得意にしています。

 

・槍

槍の使用が世界に比べて遅く、13世紀後半の鎌倉時代からです

槍を敵に投げる法は日本に現れませんでした。ヨーロッパでは持って突く法と共にやり投げは古代、中世にはありました。

 

 ・馬

  日本では西洋や中国の紀元前に使われた戦車の使用はありませんでした。馬に台付きの二輪の車を引かせて戦士が台に乗って槍で戦いました。

  大陸で(あぶみ)が発明され、乗馬技術が向上し、騎馬戦が行われるようになって

きますのは5世紀以降でしょう。中国も同じころでしょう。

  日本では戦車方式の馬の利用の時期はありません。

それからヨーロパの馬はオスは去勢して使いました。馬は繁殖期には怒りたち暴れて戦場では御しにくいのです。幕末来日したヨーロッパ人は日本で去勢されずに使われている馬を見て驚いたそうです。

以上

2017年4月2日

 

梅 一声