室町時代の時代区分の話

 


 いささか室町時代に興味を持ち読書をしています。

 雑談の中で、私が室町時代を勉強していると友人、知人に話ますと、歴史にたいして興味がなくとも「室町時代はいつからいつまでなのか?」と質問をよく受けます。

 雑談の中でこれを簡潔に答えるのに四苦八苦します。

 ここにまず以下に持説を記述し、次に歴史学界の主な説をご紹介します。

 実はこの質問にたいしては一言ではなかなか言い表せません。奈良時代、平安時代、鎌倉時代、江戸時代の時代区分は専門家の間で一部意見が分かれるところはありますが、年限が変わるとしても10ないし20年位でしょう。我々一般人のイメージで良いと思います。

 しかし室町時代の時代区分は学者によって大きく異なり又条件付き時代区分を入れるので複雑で分かりにくく、質問される方に納得します。

 それでは持説を下記します

 

 「1336年(建武3年)から1573年(天正元年)の237年間

  即ち後醍醐天皇の建武政権(建武の新政)が滅亡して、その後を足利尊氏が政権を得

てから足利将軍家15代の義昭が織田信長に京都を追放され、足利幕府が滅亡した年までです。」

 

  注)鎌倉時代148年間   江戸時代264年間

 

 次に国史大辞典、日本史辞典等によりいくつかの学界の説をご紹介します。

 A、室町時代の開始

   イ)1336年(建武3年)

     室町幕府の成立時期(足利尊氏が建武式目を制定)、

それは一方後醍醐天皇が吉野で南朝を打ち立てた時期になります。

 

   ロ)1392年(北朝明徳3年、南朝元中9年)

     南北朝の合一の時期

三代将軍義満の時、吉野の南朝天皇の後亀山天皇が入京し、北朝天皇の後小松

天皇を認め、以後北朝天皇系となる

 

  B、室町時代の終期

   イ)1467年(応仁元年)

     応仁の乱の開始時期

幕府内で八代将軍の足利義政、管領家の細川勝元と有力守護の山名宗全の

三すくみの権力闘争が続き、ついに細川勝元・義政将軍と山名宗全との間で

武力闘争(応仁の乱)となり、乱は10年間続きいったん収まったように見え

たが、そのまま戦国の世に続いていく

 

   ロ)1493年(明応2年)

     明応の政変の勃発の時期

管領家の細川政元が十代将軍の足利義材(注1)を罷免し、足利政知(注2)の息子の清晃(義高・義澄)を将軍に擁立。家臣が主君を罷免して、新たに擁立は足利将軍家の実質権力の喪失との見解。

 (注1):義材は八代将軍義政(応仁のの乱の当事者、銀閣寺建立)の弟の

      義視の息子

 (注2):政知(鎌倉公方)も将軍義政の弟

 

   ハ)1567年(天正元年)

     織田信長により足利将軍家15代義昭が京都を追放され、足利幕府滅亡の時

 

 学者の説は上記の二つの始期と三つの終期の組み合わせとなります。

最長は1336年(室町幕府成立)から1573年(信長による15代将軍義昭の追放)となります。(著者の持説であり237年間)。

 又、一番短い説は1392年(南北朝の合一)から1467年(応仁の乱)までの

75年間になります。

 建武の新政の後に南北朝時代として一つ時代を入れてから室町時代(南北朝合一から)とします。即ち1336年から1392年の56年間が南北朝時代です。この説をとる人も多いです。室町時代以降は戦国時代、次に織豊時代(安土桃山時代)、江戸時代と続きます。戦国時代は室町時代の一部そして、又織豊時代の一部とすることが普通です、

 

 更に教科書はどうなっているのかですが、「詳説 日本史(B) 山川出版社 2005」には始終期についてはっきり記載がありません。(きっと入学試験には出ないのでしょう)

 しかしみんなでちょっと歴史の話をする時に、それがいつの時代の話なのか示されないと話に乗っていけません。

 さて皆さんはどの組み合わせがお好きでしょうか。上記A・Bから始期・終期を選ばれるならば間違いとはいえません。

2013年3月6日