江戸時代までの旧国名の呼称の由来


 

現在の一番大きな行政単位は県(一都一道二府四十三県)で分けられていますが、江戸時代までは「(くに)の名称で分けられていました。例えば武蔵野(むさしの)(くに)とか大和国(やまとのくに)とかです。日本全体も日本国と言いましたので紛らわしいですね。これより日本国内の「国」には「 」を付けます。呼び方については“ひらがな”で表記しました

 さて今回のテーマは昔の「国」の統治や行政の話ではありません。旧国名の呼び名(呼称)や漢字表記の由来についての話です。

 「国」の数は江戸時代の中ごろは「六十八ヶ国」ありました。

 ここでは六十八ヶ国の中から呼び名や漢字表記についてその由来をみます。

 

 それでは“男はつらいよ”の寅さんの口上「ものの始まりが一ならば国の始まりが“やまとのくに”……」でもありますように、先ず“やまとのくに”(大和国=奈良県)からにしましょう。

 日本は古代古くは「わ」と呼ばれ、これに漢字の「倭」を当時の中国人が当てはめてくれました。「倭」そのもの意味は“女”、“みにくい“、”従順”の意味があります。少し蔑視した漢字と思えますね。しかし当時の中国は周辺異民族に対しては、「北狄」「鮮卑」と獣や魚を字に入れ極端に蔑みましたので、「倭」はまあ人偏ですからいい方でしょうか。

 当時日本では自国を“やまと”「倭」と呼称し書きましたが、1字を嫌い、「大倭」(やまと)と書き名乗りましたが、やがて「倭」の意味を知るようになって「大養徳」さらに「大和」(だいわ)の漢字に変えました。

 7世紀の中ごろ大和朝廷は国全体を“日本”(にほん)と書き名乗り、「大倭国」(やまとのくに)の名は日本の首都行政区名としました。現在の奈良県の地域です。それまでは「倭・大倭」(やまと)は日本国と首都名の両方をさしていました。8世紀の中ごろに「大倭国」の漢字は「大和国」(やまとのくに)に書き改めました。

 7世紀の終わりごろから「倭」の字はあまり良くないことに気づき、美しいと思われる「大養徳」とか「大和」の漢字を当てはめたのです。

 

 さて次は国民の一割が住んでいる東京です。明治以前は武蔵国(むさしのくに)豊島郡(としまごおり)(豊島区の豊島です)江戸です(江戸は今の東京23区より狭い範囲です)。

 この武蔵国は現在の東京都、埼玉県、と神奈川県(横浜市の中央から東側)と広域です。武蔵は「むさし」と発音します。古代も大昔は、相模国(神奈川県)と合わせて「むさのくに」と言われていました。「むさのくに」が2つに分かれました。一つが「むさの(かみ)」で「さがみ」(相模)でもう一つが「むさ(しも)」で「むさし」です。当初は「无邪志」の漢字を当てはめました。その後漢字の「武蔵」当てはめたもので「むそう」から「むさし」です。この字の方がきれいですね。

 

 古代古くからの「国名」は、“やまと言葉”(純粋の日本の言葉)から出来ています。「かわちのくに」、「きびのくに」、「いずのくに」、「たんばのくに」等全てです。この“やまと言葉”に中国から輸入言語の漢字の音読み又は訳語(和文漢訳)を当てはめて表示しました。

 上記「かわちのくに」(大阪府)は漢字の訳語を当てはめました。「かわ」は漢訳で「河」、「うち」は漢訳で「内」です。これで「河内」と漢字表記しました。漢音で“カナイ”と読んではいけません。日本語読みで「かわち」です。

「いずのくに」(静岡県)の「伊豆国」は「い」は漢音の「伊」(イ)と「ず」は漢音の「豆」「ズ」の(おん)だけを当てはめたものです。大和言葉を漢訳したものではありませんので伊豆の漢字には本来の大和言葉の意味はありません。(いず出湯(いでゆ)が本来の意味でしょう)

「吉備国」(きびのくに)(岡山県と広島県にまたがる)も「き」は「吉」から、「び」は「備」から漢(おん)だけ当てめました

「丹波国」(たんばのくに)(京都府と兵庫県にまたがる)も「たん」は「丹」から、“バ“は「波」から漢音だけ当てはめました。

 

もう一つ例題を、「下総国」(しもうさ)、上総国(かずさ)、安房国(あわ)です。これ等の「国」は合わせて現在の千葉県です。

古代古くは三国あわせて「ふさのくに」でした。この時漢字は「総」を当てました。「フサ」は房総半島の地形がぶどうのふさ(実)に似ていることから漢訳して「総」の字を当てました。(本来「総」は漢音では「ソウ」と読みます。)

あまりに広域なので奈良時代になって、先ず二つの国に分けました。一つが「上総国」です。千葉県(房総半島)の南側半分です。もう一つが東京都(武蔵国)よりの北側半分で「下総国」です。上総は、「かみふさ」から呼びやすくして「かずさ」、下総は「しもふさ」と呼びます。更にその後「上総国」(かずさのくに)の先端の太平洋に面した一部が「安房国」(あわ)として分かれました。総と房は同じくふさの意味です。この地域は古代より四国の阿波国と交流があったので「安房国」と称したとの説もあります。

さてここで何故江戸寄りが下総(しもうさ)と下(しも)で、江戸より遠い方が上総(かずさ)で上(かみ)かと言うかです。

古代から上総(千葉県)、下総(千葉県)は古代の行政区(又は官道)の七道の内の東海道に属します。

東海道は、鈴鹿以東伊賀―伊勢―志摩―尾張―三河―遠江―駿河―甲斐―伊伊豆―相模―{安房}―{上総}―{下総}―常陸となります。

古代は、相模(神奈川県)の先が武蔵の国(東京・埼玉・神奈川の一部)ではなく江戸湾(東京湾)を船で越えて房総半島(千葉県)の安房、上総で、次に北側の下総、常陸(茨城)で東海道の終点です。

当初武蔵国(江戸など)は東海道ではありませんでした。武蔵国は8世の半ば頃に東山道(近江―美濃―飛騨―信濃―武蔵―上野―下野―陸奥―出羽)より東海道に組み替えられたのです。

中世の初めごろまで東海道のルートは相模国の三浦半島から船に乗って房総半島の先に到着します。ここが上総国で次に北側の下総国の順番です。京都から近い方が順番で「上」で遠い方が「下」と称しますので房総半島(千葉県)の南が上総(かずさ)で北(江戸より)が下総(しもうさ)です。

尚ご参考までに、日本の昔の国名で「上」(かみ)と「下」(しも)がある所はすべてそのように呼称します。例えば上野(こうずけの)(くに)とか下野(しもつけの)(こく)です。上野は今の群馬県、下野はの栃木県で群馬県の方が京都に近いですね。だから群馬県が上で上野国、栃木県が下で下野国と称します。備前(岡山県)、備中(岡山県)、備後(広島県)とか越前(福井県)、越中(富山県)、越後(新潟県)とか「前」、「後」が付く場合は、京都の近い方から「前」・「中」・「後」と名付けました。

京都(大和)に天子様おられる時はそこ(都)が日本の中心ですのでここから上中下、前中後の順です。

 

最後に「山城国」(京都府)をあげましょう。8世紀に遷都され江戸時代まで天皇がおられた京都がある所が「山城国」(やましろのくに)です。

古代の大和王権は日本の行政区画を大きく五畿(都の周囲即ち、大和・山城・河内・摂津・和泉の国)と七道(東海道・東山道・北陸道・山陰道・山陽道・南海道・西海道)に分けており、それぞれに「国」があります。「山城国」は畿内五畿の一つです。

 「やましろ」はやまと言葉です。漢字で「山代」、「山背」そして平安遷都後「山城」と表記しましたが、「やま」は和文漢訳で「山」、「しろ」は和文漢訳で「代・背・城」表記しました。本来の「やましろ」の意味は何でしょう。「やま」は山でしょうが、「シロ」は代の意味なら田地で山田の意味か、又背なら山の後の意味でしょう。「城」は平安京がある所で王城の意味でしょう。

 すべての国について述べますと読む方が大変ですのでここまでにして以下にまとめとします。

 国の呼称(呼び名)は本来の“やまと言葉”(本来の日本の言葉)が先でそれに漢字を当てはめました。漢字への当てはめ方には四通りあります、@意味なく単純に漢音を表示したもの例えば、「因幡国」(鳥取県)です。やまと言葉の「いなば」と漢字の意味は何の関係もありません。ただ漢字の音を使って漢字を表示したものです(「いなば」の“やまと言葉”の意味は稲場でしょう)。

その外に上記伊豆、吉備(きび)、丹波等です。(この漢字表示方法が一番多い)。

それからAやまと言葉の意味を和文漢訳したものです。例えば和泉国です。やまと言葉で「いずみ」の意味である泉を和文漢訳して和泉を当てはめました。

(和泉は漢音で「わせん」になってしまいます)その外に上記で述べました

河内(かわち)山城(やましろ)があります。次にB漢字熟語のように作られた国名があります。例えば備前(びぜん)備中(びっちゅう)備後(びんご)そして越前(えちぜん)越中(えっちゅう)越後(えちご)です。まったく純粋の漢字熟語のように見えます。

 「きび」の国(吉備国)は大きいので、これを分割して前、中、後に分けました。(7世紀後期)これを「吉備の前」と呼ばずに教養深く外来の漢風で「備前」と名付け、「びぜん」と呼ばせたのです。備中、備後も同じです。

 「こし」の国(越)も大きかったのでやはり前、中、後に分割しました。越前、越中、越後です。漢字に表記や呼称の仕方は備前等とおなじです。

 最後に前述しましたC「大和」(やまと)です。これは特殊です。“ワ”→倭(わ)→大倭(だいわ)→大和(だいわ)→大和(やまと)です。「やまと」の名は大和(やまと)王権の「やまと」又は飛鳥(大和王権の所在地)の三輪山のふもとにあった地名やまと」から取ったのです。

それから「国」を州(しゅう)と中国読みをする場合もあります(例えば近江(おうみの)(くに)江州(ごうしゅう)(滋賀県)、長門(ながとの)(くに)長州(ちょうしゅう)(山口県))。これは「国名」が出来上がった後に中国風にしゃれて言い表わした表現で、本来の云われある呼称ではありませんので説明を割愛しました。 以上

2014年3月26日

梅 一声