難しい話 人種と民族


 人種と言っても“あの種の人種とは付き合えないね”とか“職人なんて人種は頑固だね”など気質や職業の違いを言う時に使う派生的俗語表現の人種を取り上げようとしているのではありません。

 ここで取り上げます人種の意味は私たちが使っているもっと根源的な意味での人種についてです。 

 一般的に現在の人間は三大人種に分かれると言われています。即ち白人(コーカサイド)、黒人(ニグロイド)、黄人(モンゴロイド)です。

 黒人は、もともとはアフリカに生まれ居住してきました。人類の元はアフリカを起源としていると言われております。 

アフリカからコーカサス(ロシアの南部、黒海とカスピ海の間)に移住したアフリカ人が低気温など気候によって肌の色が白くなり、更に北欧など北に居住した人々は目の色も青くなりました。そこから白人が出来上がりました。現在ヨーロッパ、北アフリカ、中東に居住の人の多くがそうです。白人でもその後暑いところで居住しますと肌の色は黒くなります。コーカサイド(白人)はコーカサスからの命名です。 

 黄(色)人はモンゴロイドと呼ばれます。これはモンゴル人からの命名された名前です。モンゴル人はもとより、中国人、東南アジアの人々、もちろん日本人もです。さらにアジアから当時地続きだったアメリカに移動したのがアメリカインディアン、更に中南米の原住民もモンゴロイド(黄色人種です)

 黄人は白人がモンゴルの地に移動して環境によって変化したのか、アフリカ人が移動して環境によって変化したのかの両説があります。

 三大人種を更に分けて六人種をとる研究者もいます。ここでは割愛します。 

 さてこの白人、黒人、黄人の人種の分類はだいたいを皆さん知るところです。しかしこの人種分類は間違いなのです。

 実は自然科学の生物学、動物学的には現在の人間は「ヒト(ホモサピエンス)は一属一種」と言って生物学的に差はありません。

 ホモサピエンス(新人)は約10〜20万年前にアフリカで誕生しました。今日の人間の先祖です。

 人間はヒト属、ホモサピエンス(種)の一属の一種で、種はホモサピエンス(新人)だけです。そしてこれ以下の分類はありません。

 白人、黒人、黄人に分類されません。人間は一種だけです。

 白人、黒人、黄人の差は単に外見の差だけです。ホモサピエンス(現在の人間)誕生の10〜20万年以来それぞれの居住地域における日射量、気候により、肌の色、目の色、鼻の形に差が出てきただけです。動物学的に同じです。

 白人、黒人、黄色人とまるで人種が違うと打ち出したのは白人優越から来た差別意識からです。

 この意識の改革は現在ヨーロッパ諸国では盛んで、アメリカはもとよりフランスでもイギリス等ヨーロッパ諸国でも黒人を自国民として白人と同等の権利を与えています。もちろん日本でもいわゆる人種差別はご法度です。

 しかしこれは表向きで実際は社会生活上差別が存在することは現実でしょう。 

 次に民族です。民族紛争が世界各地で現在も起こっています。解決は大変難しい問題です。これまでの近代の世界の戦争の原因の多くが民族紛争から生じています。

 ここでは民族と何かについて解きほぐして見たいと思います。

 日本では民族と言う言葉ありませんでした。明治に入って英語のNATIONNの訳語を民族と言う字を作って当てはめました。訳者は福沢諭吉と言われています。ただこのNATIONNにはもう一つ意味がありまして、それは国民です。民族と国民は意味が違いますが、英語ではどちらもNATIONです。

近代に入り世界の多くの人々が民族国家の樹立を求めます。そして民族紛争が起こります。しかし現実の国々は単一民族形成の国家はほとんどありません。アメリカを筆頭にほとんどが多民族国家です。あるいはどこの国も少数民族を抱えております。日本でもアイヌ民族が存在します。 

それでは民族はどのように定義されているかです。

「言語、宗教、習俗等の文化的要素の大部分を共有し、同じ集団に帰属する意識(アイデンティティ)によって結ばれている人間集団」となります。

民族は生物学的な要素による分類ではありません。

文化的要素はすべてを共有する必要はありません。一つでもよいのですが、普通は複数の要素の組み合わせで、要は集団への帰属意識があることが重要です。

もともとは同じ地域に住んでいた集団でしたが、古代から現在へ移るにつれ

もうこの要素はもう入りません。一つの民族が離れて場所で居住するのは普通です。 

 ヨーロッパも近代に入り多くの民族が民族ごとに国を樹立しました。

 ここでドイツを中心ヨーロッパの民族について見てみます。

 ドイツは、白人(動物学的でない俗に言う人種)―インドヨーロッパ語族(アーリア人)―ゲルマン民族ードイツ民族の系列下になります。

 人種については前述しました。

 人種の次の大分類に通常語族をもってきます。言語学上の同類の人々を同じ民族または人種としてします。

 インドヨーロッパ語族以外には、白人ではセム・ハム語族(アラブ諸国、シリア、イラン、エジプト等)、日本語、朝鮮語はウラルアルタイ語族で、中国語はシナ・チベット語族に分類されます。

 だからと言ってそれぞれの語族には集団への帰属意識はありません。

 インドヨーロッパ語族にはゲルマン民族(北欧、西欧に多い、ギリシャ・ローマのラテン民族やスラブ民族(ロシア等)が含まれます。

 更にゲルマン民族には古代ゴート族(現スペイン)、フランク族(現フランス)

アングロサクソン(現イギリス)、それにドイツ等に分かれて個々に民族意識があり、現在この民族を中心にして一国を形成しています。 

 ドイツ以外のこれらの国は5世紀のゲルマン民族の大移動以後一国を構えてきました。しかし中世は個々の民族による集団帰属意識よる国家形成と言うより、王朝による国家形成であって、王朝国家と言ったほうが良いのです。一般の民族間の交わりは少なく、地域住民となっていきます。地域住民間での結びつきは強くなって行き、民族意識が強まります。一方王家、貴族は、国や民族を超えて婚姻関係にあり、ヨーロッパの王家、貴族はみんな親戚関係にあります。これは王朝間の支配を安定させるための政略結婚によるものです。

 フランス、イギリス、スペイン、オーストリアの王家は皆親類です。

 ヨーロッパの一般人が国民意識を持ち、次いで王政の廃止もしくは王権の極端の抑制策を行い、国は同一民族によって形成されなければならないと考えたのは近代に入ってからです。 

 ドイツ人(民族)はゲルマン民族の一派です。ドイツ国が成立したのは17世紀の中頃です。負けたといえ、第一世界戦争、第二次世界大戦と勇名(悪名)をはせ、そして今日のヨーロッパの大国と言えども国としては遅い成立です。フランス(フランク王国)は5世紀に成立しています。

 17世紀なかごろ以前にドイツ国はありませんでした。しかしドイツ語は現在のドイツ地域、オースストリア地域、スイス地域で使われていました。これらの地域に住んでいた人々をドイツ民族と言います。そこの貴族たちはそれぞれ領邦(領地)を構えていましたが、10世紀に連合して神聖ローマ帝国を設立させました。  

 17世紀の中頃にこの神聖ローマ帝国から現在のドイツ地域にある領邦プロイセン(プロシャ)が離脱し、更にドイツ地域の他の領邦をまとめてドイツ帝国を樹立したのです。現在のドイツ連邦共和国の元と考えて頂いて良いでしょう。

 これ以降のドイツ国の躍進は二度の大戦の敗戦を経験しながらも目を見張るものがありますことはご承知の通りです。

 帝国から残されたオーストリアやスイスをドイツ帝国は二度の大戦ではドイツと同一民族として併合しようとしました。

 しかしドイツは大戦で敗れ、両国はそれぞれ別民族として独立国として今日に至っています。ドイツは同じ民族と思っても、オーストリアやスイスは別民族と思っています。集団への帰属意識が異なるのです。悪名高きヒットラーはオーストリア出身のドイツ人です。 

 ナチスドイツのヒットラーはアーリア人(インドヨーロッパ語族)を他の白人(セム・ハム語族)より絶対優位を理由に、ユダヤ人(セム人)を排撃しました。しかしこの理由づけですと、イラン人、シリア人、アラブ人等アラビア半島に住むすべての人々やエジプト人も排撃の対象になってしまします。

そこでユダヤ人だけ排撃の理由を探しましたが、生物科学での人種に差異がないことを認めざるを得ず、容姿も鷲鼻の人が多いと言っても、ドイツ人にも鷲鼻の人はいます。

容姿で差異を主張できません。結局ナチスはユダヤ人かどうかの判定はユダヤ教を信ずる人と定義しました。ですからドイツ人でもユダヤ教ですとユダヤ人と判定せざるを得ません。

 科学の国のドイツでも、人種間、民族間に優劣の差異を求めることは出来なかったのです。

 結局民族意識とは自分たちがどの集団に属しているかの認識だけとも言えます。言語、宗教、習俗を共有しているのですが、全部を共有しているわけではなく更にすべて共有していなくても自分たちは同じ集団だと認め合えばそれが民族となります。

 自然科学的にはもちろん差異がない人種、又人文科学的にも民族に固執することは不自然なのです。

 世界各地で先進国も、発展途上国も民族紛争が今も絶え間なく起こっています。

 ヨーロッパでは5世紀のゲルマン人の民族大移動があってもそれ以後の中世、近世は来民族紛争はほとんどありませんでした。その時代の戦争は王朝間の縄張り争いの戦争です。

 民族自立意識から来る民族紛争は近代の国民国家樹立後のことです。

 将来、人種や民族にこだわらない時代が来るのでしょうか、はたまた拭い去れない人間の感情、さがとしてついて回るのでしょうか。

以上

                          2015年12月3日

梅 一声