ヒットラーの「わが闘争」における日本の位置づけ |
アドルフ ヒトラーについて何も知らない人はいないでしょう。アウシュヴィッツ強制収容所のガス室でのユダヤ人大量殺人です。 しかし彼が何者であるかについてそんなに詳しく知る人は日本人ではあまりいないでしょう。 ヒトラーが自叙伝風に記述した「わが闘争」には彼の考えが克明に書かれています。ナチスのバイブルです。何分長文で文庫本の翻訳文で上下巻合わせて900頁位あります。彼の考え方は分かります。 しかしこれを普通の人が読むのは苦痛だと思います。長文の上に彼の偏執狂的なユダヤ排撃は読むのが嫌になります。 ここでヒトラーについての概容と人種差別者のヒトラーが日本人をどう見ていたかをこの「わが闘争」から引っ張り出してかいつまんでお話ししますと共にいくらか説明を入れます。 戦前の日本帝国政府はこのヒトラーと同盟して太平洋戦争(第2次世界大戦) に突入したのです。 尚、ドイツでは戦後長くこの本が実質発禁でありましたが、最近出版されることでその賛否両論が出ています。 ドイツの出版賛成者も彼の考えに同調するのではなく反面教師として取り上げるとのことです。筆者も同じです。 ヒトラーは1889年オーストリアのプラウナウ(ドイツの国境に近い) で生まれました。オーストリア国籍のドイツ人です。(オーストリア帝国はドイツ人やハンガリーリー人等多種の民族で構成しています) 父親は地方官吏でした。 ウイーンに移り美術学校を目指すも失敗し、画工の職(補助)に就きま す。 そして1912年、23歳の時にドイツのミュンヘンに移住します。 1912年に第1次世界大戦が始まりました。 ヒトラーは志願してドイツの軍隊に入ります。国籍はオーストリアのま まです。 1914年にドイツ敗戦で第1次大戦は終わります。 ヒトラーは下士官の最下位の伍長で終戦です。 ドイツは敗戦の直前に革命により、帝政から共和制に変わります。ヒトラーは革命により共和制になったので負けたとの認識です もちろんこれが原因で負けたのではなく、ドイツは降伏まじかで無謀な戦争継続を止めたのです。 ヒトラーが政治活動を始めるのは敗戦後からです。最初は軍隊内の政治運動から始めます・ 除隊後の政治活動では演説がうまいことから認められ小さな党の幹部に登用されます。 彼の思想や行動は過激で革命を試みているとして禁固刑に処されますが、数か月で放免されます・ この刑務所にいる間に友人に口述筆記させたのが「わが闘争」です。 ですから彼が政治活動を始めて6年位(1924年まで)でこの著作を世に送り、これがその後のナチスのバイブルとなったのです。 彼は首相になるためにオーストリア国からドイツ国に国籍を変えました。どうもこの辺は、ドイツとオーストリアが同じドイツ人種から来る特別 の事情によるものでしょうか。オーストリア国籍のままドイツ軍に入った り、国籍のないままドイツで平気で政治活動が認められます。日本の感覚で しかしこの「わが闘争」に書かれた彼の恐るべき信念はその後もゆるぎなく変わりません。 それでは彼の信念、政治信条を「わが闘争」からまとめます。 その前に彼の率いるナチス党ですが、「国家社会主義ドイツ労働者党」 (NSDAP)が正式名称です。ナチ(ス)は英語のNASHONALSOZIALIST(国民社会主義者)の略でNAZI(S)で、Sは複数を表します。 社会主義の名前が入っていますが、マルクスの共産主義、社会主義とはまったく関係ありません。ヒトラーは反マルキストです。この時代マルキスト以外の政党も盛んに社会主義の名称を名乗りました。 ヒトラーの信念・信条の主眼は次の通りです。 @ ユダヤ人排撃、撃滅思想 A ドイツ民族が至上者で、アーリア人が最良人種思想 B 民族国家主義者で民主主義を認めない思想 上記A、Bともユダヤ人に絡んできます。 ユダヤ人排撃の言葉は3ページに一回は出てきます。それでは何が嫌いなのか。 “肉体的には髪の色が黒いから。世界の金融(金貸し業)に長けているから。共産主義者のカール・マルクスはユダヤ人だから。民主主義を標ぼうしているのはユダヤ人だから。労働組合運動をユダヤ人がやっているから。うその大名人だから。”を挙げています。 しかしこれらはユダヤ人だけに当てはまるものではありません。髪の毛の色が黒なのはイタリア、スペインあたりの南ヨーロッパの人も黒人、黄色人種もそうですし、金貸し、民主主義、労働組合運動、うそつきもユダヤ人だけのものではありません。 共産主義の本家はマルクスでしょうが、共産主義論者はマルクスだけではありません。 ヒトラーは肉親をユダヤ人に殺されたり、ユダヤ人に直接排撃されたことはないはずです。そんなことは書いてありませんから。 ユダヤ教の信者は確かにユダヤ人が圧倒的に多いでしょう。ユダヤ人でもキリスト教の人はいますし、ドイツ人でも少数ですがユダヤ教の人はいます。 「わが闘争」から離れますが、第2次大戦中ヒトラーはユダヤ人絶滅作戦を行います。その時ユダヤ人か否かを判定するときに、生物学的に動物学的に肉体的に区別することが出来ませんでした。そこでユダヤ教信者をユダヤ人としました。ユダヤ教信者のドイツ人もいましたが、ユダヤ教信者のドイツ人はユダヤ人にしました。 自然科学的にも民族学的にユダヤ人を判別できなかったのです。 ユダヤ人が歴史的にヨーロッパの一部で好かれていなかったことはあったでしょうが、なんともはやヒトラーのユダヤ人の排撃、絶滅思想は無茶苦茶です。 次にアーリア人種が人種の中で一番すぐれており、世界の文明はアーリア人、特にゲルマン人によって創られ、その他の人種はその恩恵で暮しているとしています。 アーリア人とはインドヨーロッパ語族とも言われ、白人の内ギリシャ人、ローマ人、ゲルマン人(西ヨーロッパ人)、イラン人、スラブ人、インド人で、中東や北アフリカの白人であるセム・ハム族(アラビア人、ユダヤ人、エジプト人等)は含まれません。 これも無茶苦茶で、世界の冠たる中国文明やエジプト文明を文明にいれないのです。 アーリア人、特にゲルマン人のドイツ人は劣等民族と混合してはいけないと、混血で雑種となり、愚人、無能者となってしまい、文明の作り手がいなくなり、滅びてしまうとの主張です。 アメリカが合衆国が栄えているのはアングロサクソン人(ゲルマン人)が現地人と交わらず純粋を守ったからである。南アメリカは現地人と交わり雑種となったので繁栄しないのだと。 人種としてはドイツ人が一等で、それからゲルマン人(フランス人、アングロサクソン人)、アーリア人となります。 白人でもユダヤ人を含むセム・ハム族は劣等民族です。黄色人種や黒人は更に下になるのでしょう。 三つ目に彼の民族国家主義は民主主義を認めません。多数決は嫌いです。決定は責任ある指導者によるべきとしています。 民主主義と共産主義はユダヤ人が持ち込んだものだとしています。 まあ民主主義が嫌いな国は現在でも中国や北朝鮮がありますが、民主主義を ユダヤ人が持ち込んだとの認識はないでしょう。 そして彼は植民地拡大政策をとりません。ヨーロッパでの領土拡大政策を主 張します。ロシアを含むヨーロッパ支配を目論見ます・、 これにより第2次世界大戦を引き起こします。 (2)ヒトラーの日本人感覚 日本につてはいくつかの箇所で記述しています。 1905年の日露戦争以降の日本のアジアでの発展を注目していたからで しょう。 それでは何と言っているでしょう。要約します。 @ “ロシアとの戦いは日本ではなくドイツが行うべきであった。(日露 戦争のこと)。そうすればドイツは世界で高い地位を占めていた。” 日露戦争(1904年)での日本の勝利、そしてそれ以降の日本の国際的地位の躍進を認めています。 A ドイツ海軍を批判するに当たって、日本の海軍を評価しています。“日本海軍は新造船のすべてに仮想敵より優越した戦闘力を与えることに重点が置かれている。” B “日本は自分の文化(文明)にヨーロッパの技術を付け加えたのではなく、・・・・特に日本的文化はないのであって・・・・アーリア民族(ドイツ等ゲルマン民族)の強力な科学技術の労作なのである。 ・・・・ヨーロッパとアメリカがもし滅亡したら日本は70年前(江戸時代)の眠りに落ちていくであろう。“ 文化・文明はアーリア人が作って、日本を含めてその他の民族では作れない。ただその恩恵に預かるだけの意味です。 C ヒトラーの国家社会主義ドイツ労働者党には突撃隊(後の親衛隊)の隊員に柔道を薦めています。 D 日本人と大嫌いなユダヤ人との関係を記しています。 “ユダヤ人は日本のような国家主義国家を嫌い、日本が滅ぼされることを望んでいる。” “そのために、イギリスにおいてユダヤ新聞は「日本軍国主義と天皇制打倒」を掲げ、日本絶滅戦を準備していると指摘しています。 別に日本を擁護する意味ではないでしょう。ユダヤ人がイギリスで政治で活動を行うことに反撃しているのです。 ヒトラーはイギリスにとって日英同盟は必要との見解です。 ユダヤ人排撃にしろ、アーリア人の優秀性にしろ、マルクス批判にしても、 ほとんど理論的ではありません。 批判は同じ論法で執拗です。したがって長文になります。何が反対で、何 が賛成かが繰り返し述べられています。 演説と宣伝が大事だと言っています。 ヒトラーは政権をとった後、経済政策に成功し国民人気を得ますが、 ヒトラーが躍進するのは演説と宣伝に長けていたことからと言われています。 尚、「わが闘争」をお読みになりたい方にご参考までに下記をご案内します。 角川文庫 アドルフ・ヒトラー著 平野一郎・将積茂一訳 「わが闘争 上」 1973年 「わが闘争 下」 1975年 以上 2016年6月9日 梅 一声
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