「幕府」と「藩」の話


 

江戸時代には「幕府」や「藩」と言う名称はありません。「徳川幕府」も「忠臣蔵の赤穂藩」等は存在しません。又幕末に「討幕」もありません。尊王攘夷はあっても「尊王討幕」はありません。

「幕府」は明治時代になってから使われるようになった言葉、「藩」は幕末に尊王攘夷の志士達が使い始めた言葉です。

当時「幕府」という言葉はありました。しかし一部のインテリ―階級が知っていただけです。当時の武士も町人も一般の人はそんな言葉を知りません。公用語ではありませんし日常に使われる言葉ではありませんでした。もしあなたがタイムスリップして江戸時代に行って江戸で“赤穂藩の藩士の討ち入りについて幕府はどう考えているのか”とそこら辺の武士や町人に聞いても、“お前は何を言っているのか、幕府とか藩とは何だ”と言われるでしょう。

「藩」についても同じです。その意味について一部のインテリ―層は知っていましたが、公用語として使われることはなく、一般人は知りませんでした。幕末に尊王攘夷の志士達が使い始めたようです。

司馬史観で有名な司馬遼太郎は次のような逸話を話しています。

“幕末のある時、尊王攘夷のある志士が脱藩して、先に脱藩していて京都にいた同郷の先輩の志士を訪ねました。先輩の志士は大いに歓迎して言いました。今日志士たちが全国から集まる会がある。お前も一緒に出席しろ。後輩のその志士は喜んで会に出席しました。全国から集まった人たち故各地の方言が飛びかい、大変聞き取りにくい内容でした。会終了後宿への帰り道で、その後輩の志士は先輩の志士にたずねました。「ある人が自分に”このことについて{そんぱん}」ではどうか“とか、”これについて{きはん}の考え方はどうか“と言われたが答えられなかった。{そんぱん}(尊藩)とか{きはん}(貴藩)とは何か」と。幕末未だ「藩」と言う名称が普及していなかった頃の笑い話です。

幕末に使われだした「藩」という言葉はだれが使いだしたのかはっきりしませんが、司馬遼太郎は長州の志士あたりではないかと言われています。

しかし江戸時代末まで公用語とはなりませんでした。

江戸時代に幕府をさす公用語は「大公儀」ですし、大名も自分の領地を「藩」とは言いません。(ご)領国とか(お)国とか言っていました。

それでは現在武家政権をさす「幕府」はだれが言い出したのでしょうか。明治に入って歴史学者が江戸時代の政治制度、経済制度を「徳川幕藩制度」と名付け論文を出し、以来「幕府」・「藩」は歴史学術用語として定着したのです。大変便利な言葉となり時代小説にも映画にも取り入れられ、当時使われていたかのように使用されますがこれは間違いです。

明治に入り、明治政府は県を置くことにしました。いわゆる廃藩置県です。しかし徳川さん(大公儀=幕府)は藩を公式の行政用語にしていませんでした。そこで明治政府は廃藩置県の令を発する前に置藩の令を出したのです。明治政府が「藩」を正式の行政用語にしたのです。

以上

2012年12月16日